CULTURE

高山陣屋

2022/12/23 更新

当時の身分制度や人間模様に関するドラマがいっぱい。釘かくしの真向き兎は、どこにいる?

日本に唯一現存する郡代・代官所

陣屋は、江戸時代に郡代・代官が治政を行った場所のことをいい、それらを総称して陣屋と呼びます。
幕末には全国に60数カ所あったと言われている陣屋の中で、当時の建物が残っているのは全国でもこの「高山陣屋」だけです。

飛騨が徳川幕府の直轄領となってから明治維新が起こるまでの間、25代もの郡代・代官が江戸から派遣され、ここで行政・財政・司法などを執り行っていました。
玄関や御役所の一部は江戸時代に改築された建物。代官・代の官舎である役宅が復元整備されているほか、高山城三之丸から移築された御蔵もあります。

高山陣屋の始まり

飛騨国は、江戸時代前期は金森氏を藩主とする高山藩の統治下にありました。
やがて江戸幕府の命令で飛騨国が幕府直轄領になると、金森家の屋敷が幕府の支配拠点となりました。
江戸幕府は金森氏が6代にわたり支配してきた飛騨の国に着目し、やがて幕府が直接支配する直轄領「天領」としました。

飛騨の国は幕府の重要な経済的基盤となりましたが、その背景には豊富な山林資源があったとされています。
飛騨は山に囲まれた僻地でしたが、それゆえに資源が豊富でした。
当時は建築も造船も木造が基本であり、木炭は武器を鋳造する際に必須の材料であり、さらに鉱山からは鉄や金も採掘されました。
豊富な資源に恵まれた飛騨は幕府にとって好都合な土地で、そうした背景から金森頼時の時代に金森家は移封され、幕府の直轄領となったのです。
やがて飛騨代官は飛騨郡代に昇格し、当時3カ所あった郡代役所(関東・西国・美濃)と並んで幕府の重要な直轄領となりました。

▲高山陣屋の玄関には、徳川家の葵紋がかかげられています。
やがて国史跡に指定された高山陣屋は、明治以降も飛騨の行政の中枢であり続け、県庁、郡役所、支庁、県事務所など代々、地方の役所として使われ、昭和44年(1969年)まで県事務所として建物が利用されました。
そして県事務所が移転したのをきっかけに、高山陣屋を江戸時代の姿に復元し一般公開するための整備事業が行われ、平成8年には26年あまりの歳月を経て再現されました。

高山陣屋のみどころ

玄関の大床に描かれている青海波(せいがいは)。
これは、海の波を模しており、江戸時代に流行した吉祥文様です。
平安時代の雅楽の衣装にもあしらわれた模様ですが、幕府直轄の高山陣屋ではふすまや壁などにこの模様を描くことで、海の波のように未来永劫続く繁栄と平和への願いと祈りが込められているとされています。
現在こちらで見られるのは復元で、御蔵にて原物を見学することができますよ。

古くから日本家屋や寺院などで使われている、釘の頭を隠すために使われる「釘隠し」を始め、高山陣屋内では“真向兎”を至る所で見つけることができます。
うさぎは子供をたくさん産むため、子孫繁栄のシンボルとして縁起のよいデザインであると同時に、火事から守ってくれる魔除けとしての意味合いもあるのだそう。
さらに、大きな耳は民衆の声をよく聞き、良政を行う志を表したものとされ、治世の象徴とされました。

高山陣屋にはこの真向兎の釘隠しがなんと150箇所もあるのだとか。
館内を見学しながらひっそりと佇む真向兎を探してみるのも、高山陣屋をより楽しむ方法のひとつです。

高山陣屋の役人が、年貢の徴収や森林の管理、土木行政や警察・裁判などのさまざまな実務を行っていたお役所。
その先には49畳もの大きな大広間が広がっており、高山陣屋内で最大の広さを誇る場所です。

ここは年始をはじめとした重要な年中行事などで使用されており、広間に沿って設けられた縁側からは、春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色など、四季折々に移り変わる庭の様子を一望できます。
当時の代官・郡代らが眺めていたものと同じ景色を堪能することができます。

訴訟や犯罪に関する取り調べを行ったり、判決を言い渡した場「御白洲」。
陣屋に2箇所あり、村からの訴えや願い事を受けたりする現代の「役所の窓口」となる場所と、罪を犯した人の取り調べと裁きが行われる場所があり、法廷の役割を果たしていました。
由緒ある浪人や御用達町人は板縁、さらに身分の低い一般庶民(町民や農民)は白州といわれる砂利敷に座って行われておりました。

▲ここには、当時使われていた責台(せめだい)、抱石(かかえいし)などの拷問道具や、囚人を運んだ囚人駕籠(しゅうじんかご)などが展示されています。

江戸時代の取り調べは自白が重視されており、自白が得られない場合は厳しい拷問が課される場合もあったのだとか。
しかし、高山陣屋の拷問道具は人々を威圧するために置かれていたものであり、実際は牢屋内で行われていたと考えられています。

内部には派遣された代官・郡代とその家族が移住した御居間や、近隣の村々から収められた年貢米を収納する米蔵など、見どころの多い高山陣屋。
天領時代の歴史を物語る資料がなどの展示もされており、歴史を感じる時間を過ごすことができます。
朝市も開かれ、多くの店が並び賑わう陣屋。当時の身分制度や人間模様を背景とした様々なドラマが眠るこの場所で、飛騨高山の歴史に触れてみてはいかがでしょう。

ACCESS INFORMATION

住所 岐阜県高山市八軒町1−5

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