目もくらむ絢爛豪華な屋台と祭行列に、誰もがテンションMAX!
16世紀後半から17世紀が起源とされる「高山祭」は、4月14~15日「春の山王祭」と、10月9~10日の「秋の八幡祭」、この2つの祭の総称で、京都の「祇園祭」と埼玉県秩父市の「秩父夜祭」と並んで「日本三大曳山祭・日本三大美祭」のひとつに挙げられ、高山の人々によって大切に守り継がれてきた非常に古い歴史のある祭りです。
1960年に「高山祭屋台」が重要有形民俗文化財に、1979年に「高山祭の屋台行事」が重要無形民俗文化財に登録されるなど、もともと著名な祭りではありましたが、2016年にはユネスコ無形文化遺産にも登録されたことをきっかけにさらに人気に。
海外からも注目され、世界中から観光客が訪れるお祭りとしても知られるようになり、高山の揺るぎない誇りとして今も受け継がれています。
1960年に「高山祭屋台」が重要有形民俗文化財に、1979年に「高山祭の屋台行事」が重要無形民俗文化財に登録されるなど、もともと著名な祭りではありましたが、2016年にはユネスコ無形文化遺産にも登録されたことをきっかけにさらに人気に。
海外からも注目され、世界中から観光客が訪れるお祭りとしても知られるようになり、高山の揺るぎない誇りとして今も受け継がれています。
高山祭では”動く陽明門”とも称される祭屋台が、春は12台、秋には11台引き揃えられるなど、さながら芸術作品のような豪華絢爛な姿を目にすることができます。
祭の起源は金森氏の時代(1585年-1692年)で、屋台の登場は1718年ごろと言われており、巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、匠の技を堪能することが出来ます。
祭の起源は金森氏の時代(1585年-1692年)で、屋台の登場は1718年ごろと言われており、巧みな人形の動きを披露するからくり奉納や、仕掛けが施された戻し車など、匠の技を堪能することが出来ます。
高山に春の訪れを告げる「山王祭」は、旧高山城下町南半分の氏神様である日枝神社の例祭。
見どころはなんといっても豪華絢爛な山車の数々。
祭の舞台となる安川通りの南側・上町には、「山王祭」の屋台組の宝である屋台12台が登場します。
うち3台がからくり奉納を行い、祭行事では賑やかな伝統行事も繰り広げられます。
長い冬に終わりを告げ、桜が満開となる頃に勢揃いする光景は圧巻です。
神輿を中心とした、獅子舞や闘鶏楽、裃姿の警固など総勢数百名の大行列が町をめぐる”御巡幸”は、氏子の繁栄を願い、神様が1泊2日の旅をするというもの。
神様は日枝神社の御分霊として神輿に乗り、氏子たちの家々を巡った後お旅所で一泊。
翌日に出発し、日枝神社へ戻ります。
お囃子や雅楽、獅子舞に先導される祭行列の様子はまるでタイムスリップしたかのよう。
昔ながらの衣装も必見の祭行列です。
見どころはなんといっても豪華絢爛な山車の数々。
祭の舞台となる安川通りの南側・上町には、「山王祭」の屋台組の宝である屋台12台が登場します。
うち3台がからくり奉納を行い、祭行事では賑やかな伝統行事も繰り広げられます。
長い冬に終わりを告げ、桜が満開となる頃に勢揃いする光景は圧巻です。
神輿を中心とした、獅子舞や闘鶏楽、裃姿の警固など総勢数百名の大行列が町をめぐる”御巡幸”は、氏子の繁栄を願い、神様が1泊2日の旅をするというもの。
神様は日枝神社の御分霊として神輿に乗り、氏子たちの家々を巡った後お旅所で一泊。
翌日に出発し、日枝神社へ戻ります。
お囃子や雅楽、獅子舞に先導される祭行列の様子はまるでタイムスリップしたかのよう。
昔ながらの衣装も必見の祭行列です。
豪華絢爛な屋台が弾き揃う圧巻の光景が魅力の”屋台引き揃え”。
「高山祭」の屋台は、春・秋ともに国の重要有形民俗文化財に指定されており、春の高山祭の際は12台が勢揃いします。
神楽台・三番叟・龍神台・石橋台の4台は中橋のお旅所前広場(高山陣屋前)に、他8台の屋台はそれぞれの所定の場所に曳き揃えられます。
「高山祭」の屋台は、春・秋ともに国の重要有形民俗文化財に指定されており、春の高山祭の際は12台が勢揃いします。
神楽台・三番叟・龍神台・石橋台の4台は中橋のお旅所前広場(高山陣屋前)に、他8台の屋台はそれぞれの所定の場所に曳き揃えられます。
お旅所前では、三番叟・龍神台・石橋台による”からくり奉納”が披露されます。
どれも熟練の”綱方”が30本以上の綱を操り、息を合わせて人形を操作する大変高度な技術を要するもの。
まるで生きているかのような人形の繊細かつ大胆な演技に、思わず圧倒されます。
どれも熟練の”綱方”が30本以上の綱を操り、息を合わせて人形を操作する大変高度な技術を要するもの。
まるで生きているかのような人形の繊細かつ大胆な演技に、思わず圧倒されます。
14日夜の夜祭は、昼とは異なる雰囲気の幻想的な光景が広がります。
100個ほどの提灯を灯したそれぞれの屋台が町をゆっくりと巡り、「高い山からノーエ、谷底みれば」というゆったりとした曳き別れ歌を歌いつつ、最高潮へ達します。
漆黒の中艷やかに浮かび上がる光の軌道と、ゆらゆらと動く無数の提灯に照らされる屋台は格別の美しさを誇り、夜の闇を飾ります。
是非一度は目にしたいと思う光景です。
100個ほどの提灯を灯したそれぞれの屋台が町をゆっくりと巡り、「高い山からノーエ、谷底みれば」というゆったりとした曳き別れ歌を歌いつつ、最高潮へ達します。
漆黒の中艷やかに浮かび上がる光の軌道と、ゆらゆらと動く無数の提灯に照らされる屋台は格別の美しさを誇り、夜の闇を飾ります。
是非一度は目にしたいと思う光景です。
秋めく高山を彩る「八幡祭」は、旧高山城下町を流れる宮川の北半分の氏神様で、戦の神である応神天皇を主祭神としている櫻山八幡宮の例祭です。
毎年10月9日・10日になると、安川通りの北側に11台の屋台が登場。
個性豊かな屋台は、より美しく豪華なものになるようにと、回を重ねる毎に装飾を競い合ってきました。
江戸時代に天領として経済的な潤いを見せたことや、飛騨の匠と呼ばれる高い技術を持つ大工や塗師、彫刻師に恵まれたからこそと言われています。
八幡祭では、山王祭と同様に御神幸(祭り行列)や屋台曳き揃えが行われ、多くの人々が屋台を囲み、屋台彫刻や見送幕、細部の構造などに釘付けになります。
祭り初日の9日13時頃から行われる屋台曳き廻しは、秋の高山祭でのみ行われる特別な行事。
屋台曳き廻しが行われるのは4基の屋台のみで、神楽台と鳳凰台、からくり奉納を行う布袋台を除く8基のうち2基が参加します。
高山の屋台の大きな特徴である戻し車と呼ばれる車輪を使い、屋台の後方を持ち上げて側面の二輪のみで180度回転させる「角回し」は、秋の高山祭でのみ見ることが出来る貴重な行事です。
夜に行われる”宵祭(よいまつり)”では、古い街並にきらびやかに繰り広げられる祭り屋台を見ることができます。
秋の情感を掻き立てる、錦絵を彷彿とさせる美しさを感じます。
祭の終わりには、飛騨の人々は秋の気配を感じながら冬の準備へと気持ちを切り替えていきます。
豊穣や1年の無事に感謝し、深く長い冬に備えます。
毎年10月9日・10日になると、安川通りの北側に11台の屋台が登場。
個性豊かな屋台は、より美しく豪華なものになるようにと、回を重ねる毎に装飾を競い合ってきました。
江戸時代に天領として経済的な潤いを見せたことや、飛騨の匠と呼ばれる高い技術を持つ大工や塗師、彫刻師に恵まれたからこそと言われています。
八幡祭では、山王祭と同様に御神幸(祭り行列)や屋台曳き揃えが行われ、多くの人々が屋台を囲み、屋台彫刻や見送幕、細部の構造などに釘付けになります。
祭り初日の9日13時頃から行われる屋台曳き廻しは、秋の高山祭でのみ行われる特別な行事。
屋台曳き廻しが行われるのは4基の屋台のみで、神楽台と鳳凰台、からくり奉納を行う布袋台を除く8基のうち2基が参加します。
高山の屋台の大きな特徴である戻し車と呼ばれる車輪を使い、屋台の後方を持ち上げて側面の二輪のみで180度回転させる「角回し」は、秋の高山祭でのみ見ることが出来る貴重な行事です。
夜に行われる”宵祭(よいまつり)”では、古い街並にきらびやかに繰り広げられる祭り屋台を見ることができます。
秋の情感を掻き立てる、錦絵を彷彿とさせる美しさを感じます。
祭の終わりには、飛騨の人々は秋の気配を感じながら冬の準備へと気持ちを切り替えていきます。
豊穣や1年の無事に感謝し、深く長い冬に備えます。
春秋の2度にわたって繰り広げられる高山祭は、土日、祭日に関係なく毎年決まった日に行われるので、見る機会も限られてしまいます。
櫻山八幡宮のすぐそばには「高山祭屋台会館」があり、八幡祭の屋台11台は、ここで一般に公開されています。
近くでじっくりと見ることもできるので、屋台をひと目みたい方はこちらも訪れてみてはいかがでしょう、
櫻山八幡宮のすぐそばには「高山祭屋台会館」があり、八幡祭の屋台11台は、ここで一般に公開されています。
近くでじっくりと見ることもできるので、屋台をひと目みたい方はこちらも訪れてみてはいかがでしょう、