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その遺伝子と血統が築き上げた日本一のブランド和牛の地位。今もその名が燦然と輝く伝説のグレートダディ。

安福号

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今もその名が燦然と輝く伝説のグレートダディ

全国有数のブランド和牛としての地位を築いた「飛騨牛」。
その肉質はきめ細やかでやわらかく、網目のような美しい霜降りと口の中でとろける芳醇な香り・味わいが魅力です。
「安福号」は、昭和56年に兵庫県から種雄牛として導入され、岐阜県における和牛の肉質改善に貢献しました。
「飛騨牛」の名を全国に知らしめた種雄牛として、岐阜県の畜産業界にとって非常に重要な役割を果たしたのです。

飛騨牛のルーツ

かつて飛騨地域では、田畑を耕す農耕用も兼ねた牛「役牛」の飼育が行われていました。
やがて農作業の機械化により肉用牛への転換がはじまったことで、昭和40年代には肉質や体格の良さを求める改良が行われるように。
この流れは全国的に起こり、各県が競う場として「全国和牛能力共進会」が開催されるようになりました。
そして昭和56年、のちに”飛騨牛の父”と呼ばれる「安福号」が導入。
その産子が次々と素晴らしい産肉成績を収め、飛騨牛の歴史はここから始まったのです。

「安福号」の産子は、当時低迷していた子牛価格を押し上げ、ゆくゆくは70万円を超える価格で取引されるなど、飛騨子牛市場の価値を全国トップの座に押し上げました。
そしてその後も「飛騨白清」、「白清85の3」、「花清国」など、「安福号」の血を引き継いだ種雄牛が県内で活躍。
今も飛騨牛ブランドの発展に寄与しています。
そして平成14年、国内の優秀な和牛が一同に会す、和牛のオリンピックとも呼ばれる「全国和牛能力共進会」において日本一を獲得したことで「飛騨牛」の名が全国的に轟くことになりました。

肉質日本一の称号を揺るぎないものにし、飛騨牛の父として数多くの功績を残した「安福号」。
名前は当時の県知事である上松陽助氏によってつけられたもので、現在世に送り出した産子は4万頭という驚異的な数字。
天寿を全うする際には多くの畜産関係者の涙に見守られてこの世を去るほど、大きな存在でした。

長い年月をかけてつくりあげた銘牛「安福」の血統。
そして優れた生産者の技術が織りなす「飛騨牛」。
その魅力を、是非堪能してみてはいかがでしょう。